さてあなたは何色が好み?
真夏の海、男性の目をひきつけてやまないのが、ピチピチした若い水着姿ですが、中でも人目をひくのがビキニスタイルの女性です。
クソどうでもよい話ですが、
今回は、男を悩ます「ビキニ」と「パンティー」の由来についてお話しします。
イククル
夏はやっぱりビキニ「ビキニスタイル」で刺激を
生まれたままの、ヌーディストには及ばないとはいうものの、わずかに乳首だけが隠れるかという程度のトップ、これも女性部分が隠れるかどうかというほどのボトムというのでは、若い男性ならずとも、思わずツバを飲みこむことが少なくないのも道理です。
多少なりとも、若さとスタイルに自信のある女性なら、一度は身につけてみたいといわれるこの水着、いうまでもなく″ビキニ″と呼ばれるものですが、このビキニスタイル、どこから生まれたのでしょうか。
男を悩ます「ビキニ」の由来は?
ビキニは、北太平洋マーシャル群島の中の小さな島の名前です。この島がクローズアップされたのは1945年7月1日。
ここでアメリカの原爆実験が行われてからです。
世界中がアッ、と驚いた原爆実験でした。
その直後、ヨーロッパのデザイナー、ジャック・エームがアトム(原子)と名づけられた小型の水着を発表しました。
あまりの大胆なスタイルに、原爆実験に匹敵するというところから、ライバルデザイナーが″ビキニ″と名づけたのが始まりです。
ちなみに、ビキニスタイルはすでにローマ時代に若い女性が身につけたスタイルだといわれます。
というのは、ポンペイ遺跡から発見されたモザイク画の中に、ビキニスタイルの女性が描かれているからです。
その当時は何と呼んでいたのでしょうね。
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ズロース・ドロワーズはひっぱりはがすもの!?
女性のはくパンティは、戦前はズロースと呼ばれていました。
ズロースの発生は、16世紀のイタリアで、上流階級の婦人が馬に乗るとき、はきはじめたといわれます。
当時のスタイルは、ステテコをチョン切ったような形で膝くらいまでの長さでした。
形はいろっぼくありませんが、上流婦人が直接肌につけるのですから、布地はシルク。
これに金糸、銀糸で刺しゅうして、宝石までつけた豪華版です。
おそらく山賊などが襲ったら、必ずひっぱり脱がせたことでしょう。
山賊でなくても、着手がいい女ならひっぺがしたくなるのが男心だったのでしょう。
そこで、これが英国に伝わって、英語でドロワーズとなったのですがドロワーズのドロウというのはひっぱるの意味。
まことに現実的なネーミングでした。
ドロワーズが、日本語でズロースとナマって呼ばれたのです。
ですからズロースという言葉は英語の字引きにはありません。
イククル
赤は「プロ並み」?赤くなった腰巻きの話
和服でもパンティーを着用する人が増えていますが、着物の下着は腰巻だけが正式です。
腰巻の始まりは、鎌倉時代の湯巻です。
当時は天皇が入浴するとき、上臈(じょうろう)という高級女官がお世話したものですが、この場合、湯巻という前掛けのような白羽二重の布をつけました。
湯巻を着られる女官は、上臈ひとり、典侍(ないしのすけ)(中級女官)ひとりに限られ、巻き方や長さも官位により厳重に定められていました。
湯巻は江戸時代になって湯文字と名をかえ、女性たちの入浴必需品となりました。
当時は男女混浴ですが規制で素裸で入るのはご法度だったのです。
男はフンドシ、女は湯文字をつける決まりだったのです。
白かった湯文字り、赤い腰巻にかわったのは、娼妓(しょうぎ)(公娼)が男性顧客をビジュアルに刺激する手管として、赤い布を用いたためです。
関西では、素人っぽさを売り物にする私娼を自湯文字といい、文字どおり白い腰巻でお相手をしていました。
が、江戸中期以降は、腰巻は赤一色となりました。
良家の子女まで、公娼にならって赤い腰巻をしたのです。
この場合、赤い腰巻は公娼のシンボルではなく、プロ並みの技能があることを訴えたのでしょう。
″昼は聖女の如く、夜は娼婦の如し″というのが期待される女房像とあって、せめて腰巻だけでも理想像に近づけたのです。
赤色パンティーで誘ってみてはいかが!?
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