こんにちは!「perokun」です。
「こころ」のない人は、言葉にだまされやすいということ知っていましたか?
なぜ「こころ」のない人は言葉にだまされやすいのか?
それは淋しいからです。
今回は騙されてない?真の愛情は行動で示される!言葉をそのまま受け取る前に考えるべき事をお話しします。
真の愛情は行動で示されるのだ
愛とか心とは行動なのです。
しかし「かたち」で生きてきた人は言葉を信じます。
例えば「還暦祝いをしたい」というのは言葉なのです。
「あなたが好きです」も言葉なのです。
「あなたを愛しています」も言葉なのです。
子供の顔を見て、愛していると言ってもいいが、それは必ずしも愛ではないといえます。
昔読んだ『疑わしき母性愛』という本に「真の愛情は間接的に示される」と書いてありました。
正確な言葉は忘れましたが、そのような主旨の言葉が書いてありました。
まさにそのとおりであると思います。
つまり真の愛情は行動で示されるということなのです。
「かたち」だけで生きてきた人は、心の底では淋しいのです。
だからついつい言葉を求めてしまうのです。
「愛している、好きです」といった類の言葉はまやかしのようなものです。
決して根本的な心の淋しさを解決してはくれないのです。
しかし一応そこでの淋しさはまざらわされるわけです。
そこで淋しい人はついついそのような言葉を吐いてくれる人に心が傾いてしまうのです。
そのような人は、シーベリーのつぎの言葉を記憶しておいたほうがいいでしょう。
「貪欲な連中は、自分の意図を隠すのがうまい。
目的を隠すのにこれほど抜け目のない者もいない」。
淋しくて悩んでいない人は、この貪欲な連中の意図を感じとるのです。
しかし、淋しく悩んでいる人はこの人々の言葉にだまされる可能性があります。
言葉の裏側にある「本当の愛情」に気づく方法
心が疲れている人や病んでいる人は言葉をそのまま受け取ってしまう可能性があります。
例えば、ある青年が友達から「お前はずるい」と言われ、それがショックで自殺をしようとしたという話があります。
「お前はずるい」と言ったほうの友達は、自分がそのように言ったということをもう忘れています。
自殺しようとした青年にとっては「お前はずるい」は「お前はずるい」なのです。
「ずるい」という言葉に条件環境は関係ありません。
どこまでも「お前はずるい」は「お前はずるい」であるのです。
もしこの言葉どおり受け取れば、ショックを受けることはわかるはずです。
しかし、言ったほうが忘れているのです。
言ったほうは、ほんの軽い気持ちで言ったのでしょう。
受け取るほうは深刻にその言葉通り受け取ったというわけです。
同じ言葉でも共通感覚が違う理由
二人の間で「ずるい」という言葉の共通感覚が違うのです。
小さい頃兄弟喧嘩をしたり、親子で喧嘩をしていれば、このようなことにはならなかったであろう。
小さい頃兄貴がおいしいお菓子を余計に取って逃げていく。
「ずるいぞ」と弟は怒る。
兄貴は「お前だってこの間、隠れて余計に取ったろう」と喧嘩をする。
こうして子供は「ずるい」という言葉も、「うそつき」という言葉も学んでいくのです。
「ずるい」という言葉を深刻に受け取るときと忘れていいときとを感覚的にわかっていくのです。
「ずるい」という言葉は、辞書に書いてある「ずるい」という意味ではなく、使われる日常生活の共通感覚を身につけていくものです。
他の言葉も一緒で生活環境によって受け止められ方が違うのです。
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