「こうであるべき自分」は今すぐ捨てろ!自分の性格を自分の強みに

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会社の中で、学校の中で、家庭の中で、友人、ご近所・・・場所や立場は変われど自分はこうあるべきだと思って生活している人は多いのではないでしょうか?

「こうあるべき」と「こうでありたい」とは全く違います。

無理して自分を作るといつか壊れてしまいます。

今回は、「こうであるべき自分」は今すぐ捨てたほうがいいというお話しです。

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自分を出すことはリラックスすること

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自分を出すということは

リラックスする」ということです。

自分を出すというと、何か衝動的になることと思い違いをしている人がいますが・・・。違います。

自分を出すということは無理をしないということです。

相手に好かれようと思って何か特別なことをしないということです。

相手の好意を期待して行動するとき人は自分を隠したりします。

そこにストレスも生じるのです。

リラックスするということは防衛的性格になっていないということです。

不安からふるまわないということが自分を出すということでもあります。

つまり

安心するということが自分を出すということでです。 

見捨てられないという安心感をもって行動しているときに人は自分を出しているといえます。

自分を出すというと

すごく個性的な生き方をするとか

ものすごい冒険をするとか

周囲のことを無視して自分の趣味に没頭するとか

先に言ったように衝動的な行動をするとか

自分のわがままを通すとか

いう風に勘違いをしている人がいますよね。

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自分を出すということは

・のんびりと椅子に腰掛けていることなのです。

・自分の格好を意識しないで、楽な気持ちで椅子に腰掛けて話をしていることなのです。

・リラックスして相手と話していることなのです。

・相手に尊敬されようと話題を選ばないで話をしていることなのです。

自分を出すということはそんな大それたことではないと思いますよ。

「自分を出したら嫌われる」という思いこみ

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相手に好かれようとしないで、ただ自然に相手の前に座っているときに人は自分を出しているといえます。

これといった話題もなく、なんとなく話していることがただ楽しいとか・・・楽だとか。そんなときに人は自分を出しているのです。

自分を忘れたふるまい・・・

それが自分を出すということです。

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これを言ったら相手に嫌われるのではないかとか

こういう風に言ったら相手に喜ばれるのではないかとか

そんな気遣いをしないで、リラックスして話をしていることが自分を出すということなのです。

そんなときに人は自分を出している。

逆に言えば、リラックスできない人は自分がない人なのかもしれませんね。

また、「かたち」で行動しているときには人は自分を出していないのです。

「かたち」で行動しているときには自分にも自分がわかっていない時です。

リラックスして椅子に腰掛けながら相手と話をしているときに相手と心がふれあっていると感じます。

「自分の格好を意識しないで、椅子に腰掛けて話をしているということ」は、相手を無視していることではないのです。

相手と心がふれあっているということです。

相手を意識していないということと、相手の人格を無視するということは違います。

わがままとか、八方美人とか、利己主義とか、自己執着ということが相手の人格を無視しているということなのです。

相手が自分のことをどう思っているかを気にしていないときに相手と心がふれあっていると感じます。それが大切なのです。

それが「こころ」なのです。

自分を出して生きているときには、不眠症にも吐き気にも苦しまないのではないしょうか。

便秘にも性的不能にもならないのではないでしょうか。

自分を隠すから、そのようなことになるのです。

体調が悪くなったり、心の病になったりするのです。

自分を出していない人は「自分を出したら嫌われる」と勘違いをしています。

それはまったく逆なのです。

自分を出しているほうが確実に好感が持たれます

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本当の自分を隠すからぎこちなくなってしまう

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自分を隠しているときには不安で緊張しています。

そのストレスが人を拒否している雰囲気をつくるのです。

どんなに立派に行動しても、やはり人はその人を好きにならないでしょう。

そもそも、立派に行動したら好かれるという考え方が間違っているのかもしれません。

せいぜい自分にふさわしい程度の立派さでいいのです。

相手の言動がいやなときにストレートに「それはいやです」と言ったほうが好かれる可能性が高いと思います。

いやなのにいやと言わずに理屈をこねまわす人がいますよね。

自分の「いや」という感情を正当化するためにいろいろな理屈をつける・・・。

聞いているほうは、何を言っているのかわからなくなります。

結局、お互いに不満になります。

「いや」という感情を正当化するということは、「いや」という自分の感情にやましさを持っているからです。

いやなものはいやでいいと思います。

それで相手から嫌われるわけではないでしょう。

そう言ってもらったほうが相手も気が楽なこともあります。

「私は相手の言動に対していやと思うべきではない」という考え方のほうが間違っていると思っています。

自分を出すということが感覚的にわかってくれば、つぎからつぎへといろんなことがわかってきます。

・自分を出すということは奇妙な格好をすることではない。

・安心して座りたいように座ることである。

・気持ちが防衛的でなくなったときに自分が出る。

・相手の好意を求めて自分をつくらなかったときに自分が出ている。

・自然な起居振舞のなかに自分が出るのである。

・起居振舞が人を寄せつけないときには自分を出していない。

ひとりでいるときにリラックスできたとします。

そんなとき「この格好を人前で出したほうがいいよ」と自分で自分に言ってあげることも大切です。

実際、その格好を人前で出したほうが好かれる可能性が高いのです。

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人を前にして、完全な自分を演出しようとしている人は完全に間違っています

自分を演じており、その場しのぎの自分を作っているだけです。

 おわりに

世のなかにはなんと多くの人が好かれようと行動して、結果として嫌われていることでしょうか。

好かれるための努力で嫌われる人は多いのです。

人間もバカではありません。

自分を作っているのか作ってないのか、その人の本質は付き合っていくとすぐに見えてくるものです。

だから、そんな努力はしないほうが根本的にうまくいくのです。

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